にしざわ貯金箱かんの記録 その14 ー貯金箱収集についてー

 にしざわ貯金箱かんが閉館(2019.8.31)して2年が過ぎました。一時の忙しさが落ち着いたこの時期から、時折りに、にしざわ貯金箱かんの諸々の記録をこのブログに残して行きたいと思います。永遠の過去・現在・未来の中でほんの一瞬に現れたに過ぎない”にしざわ貯金箱かん”に有り難くも興味を持たれた方にメッセージを残したいと思います。   

 貯金箱収集について

                                  平成22年3月

貯金箱収集について

 貯金箱収集の経緯

 「何かを集める」、この収集癖は、本来的な性格かもしれない。小・中学生の時は、主たるものは、切手集めでした。戦前の使用済みの切手が珍しく、それが動機となり、熱心に集めました。結構、当時は、切手収集ブームでした。しかし、切りなく発行され始めた切手に嫌気がさし、収集を中止し、その後、特に、何かを収集と言うことは有りませんでした。

 長野信用金庫に入社して、3年後の昭和44年長野市にある本店に転勤となりました。当時は、正に古銭ブームの始まる頃でした。少し前の昭和39年に東京オリンピックが開かれ、日本で初めての記念硬貨、1000円、100円の銀貨が発行されました。昭和45年には、日本万国博覧会記念硬貨の100円白銅貨発行など、その後、次々と記念硬貨の発行がありました。こんな背景の中で、古銭ブームは、急速に盛り上がり、昭和50年代に掛けて、誰もが多かれ少なかれ蒐集者という雰囲気でした。

 私の古銭収集に火がついたのは、正にこの時で、取引先の骨董屋さんに口掛けられたからです。明治時代からの古いお札が、いろいろ、ひとかために有りました。結構な額の購入額でしたが、お金持ちの骨董屋さんで、見返りに、それもまた多額な預金を頂きました。これを切っ掛けに、古銭集めに没頭しました。目標は、「日本貨幣カタログ」記載のものの、完集です。古銭会に加入したり、骨董市などに出かけたり、それはそれは熱心に収集を楽しみながら、没頭しました。しかし、ある程度集まると、それ以上は、高額のものばかりとなり、高嶺の花です。限界を感じ、収集を中止せざるを得ませんでした。現在、貯金箱かんの「お金いろいろ」の部屋に展示している物が、その成果です。

 暫くは、収集対象が有りませんでしたが、ある時、ふっと、ウサギの貯金箱が、目に触れました。一寸大き目で、陶器製の、色が落ちかかっているけれど、愛くるしい貯金箱です。何となくタンスの上に置かれていたのですが、貯金箱もいろいろ有るんだーとの思いです。更に、エスエス製薬のウサギのぴょんちゃんの貯金箱と出会い、これは、面白いと言う動機から収集が始まりました。昭和50年代初めの頃のことです。もう収集を始めて、35年近くになります。

 当初は、興味を引いた貯金箱を、ぽつぽつと買い求めていました。それでも、平成10年頃には、1000個位を集めていました。

 平成10年3月、長野信用金庫を役職定年の55歳で、退職しました。その年の2月には、忘れもしない、長野冬期オリンピックが開催されました。退職後、私は、家業の西沢薬局㈱に従事し、時間的にも、経済的にも、比較的余裕のある生活を送ることが出来ました。暫くは、貯金箱収集も、ぽつりぽつりと目的のないものでした。

 当時は、バブル景気崩壊後の平成不況の最悪期、株価は、最低に落ち込み、先行きの見えない状況でした。預金利息は、今でも続いている、ほぼゼロ金利、私の銀行生活では、考えられない現実でした。老後は、金利生活が選択肢の一つでした。20年も経て、今だに、ほぼゼロ金利は、予想だに出来ませんでした。

 こんな状況の中で、平成10年代初期に、いろいろなリサイクル品を扱う各種店舗の創業があり、以後、凄まじい増加を見ました。中古でも、買う方は、使えるものは使おう、安く手に入る、意外と掘り出しものがある、売る方からすれば、捨てるつもりが、小額といえども金になる、結構何でも買ってくれる等、時代のニーズに合っていたようだ。

 こんな背景の中で、貯金箱の収集に大きな転機がきました。家庭に有った比較的状態の良い貯金箱、古いものを主体に、どっとリサイクル市場に放出されてきました。これらは、お金になると言うことで、家庭で捨てられていたものが、市場に出てきたのです。リサイクル店巡りにより、以後、約10年に渡り、大量の貯金箱が、集まりました。キャラクター貯金箱を初め、それぞれの時代を象徴する貯金箱が、いろいろ集まりました。もう手に入らないものが大半でしょう。正に、この状況は、二度とない、貯金箱収集のチャンスを与えられたものでした。今でも、当時の骨董屋さん、キャラクター専門業者が、当博物館に出入りし、貯金箱収集に協力を頂いています。最近は、リサイクル店も、出入り業者からも、貯金箱の入手は、めっきり少なくなりました。長年に渡る経過の中で、出つくしたということでしょうか。

 平成19年初めには、こんな経過の中で、貯金箱の収蔵数は、5000個に近づいていました。私の知る限りでは、尼崎市の世界貯金箱博物館、収蔵数12000個についで、日本で二番目の収蔵数です。自宅保管状況も限界で、現状打開の決断の時期となっていました。

 以前から、収集貯金箱の公開を考え、用地の取得も完了していました。実施は、65歳になる、平成20年とし、平成20年4月1日を博物館オープンの日としました。

 平成19年5月30日、建物の建築が開始されました。そして、翌年の2月に完成しました。土地取得・建物新築の総費用は、約3億円です。資金手当ては、全額、自己資金で、従来からの貯金及び大部分は、株式の売却代金です。平成不況の株価最安値時に株を購入、丁度良い時期に株価が上昇し、幸運でした。決断に弾みをつけた天の恵みです。無駄で、無謀で、いつ採算性が合うか解らない事業ですが、文化遺産として、社会に残す、地域に貢献するを第一目的に邁進したいと考えています。しかし、博物館の永遠の存続の為にも、事業として、出来るだけ早く採算性を合わせなければなりません。収入の増加に向けた方策を、常に追求しています。

 こんな状況の中で、平成20年4月1日、にしざわ貯金箱かん(妻の恒子の命名です。)がオープンしました。

 オープンして、もうすぐ、2年になろうとしています。収入は、目標の二割程度です。目標は、月、100万円です。如何にして、入館者を増やすかが、一番の課題です。

 先ずは、収蔵品の数を増やし、質を高めること、そして、展示方法の工夫など、博物館のグレイドを上げることです。来館者が、サプライズし、高評価し、宣伝者になってもらう、そんな博物館にすることです。

 そして、宣伝すること、現在、電柱看板 7か所、館外看板 2か所、新聞広告3紙 各紙 月 2~4回、共同新聞折込広告 月1回、電話タウンべージにホームページアドレス掲載を行っています。また、極力、メディアへの宣伝を心がけています。

 更に、地域の旅館、飲食店等へのポスター・パンフレットの配布は、2~3か月毎に励行しています。市外の観光施設にも半年に一度位、配布を励行しています。

 なにを措いても一番力を置いているのが、インターネットの利用です。現在、インターネット上に於ける発信力の向上は素晴らしいものです。インターネット上の貯金箱の博物館としての知名度は、トップクラスです。インターネットによる効果は、大きいものが有ります。来館者の増加、仕入業者の認識向上、メディア・旅行業者などの注目度向上などです。経費少なく、居ながらにして宣伝が出来ます。

 最後に、差別化でしょう。観光施設・博物館・貯金箱博物館の中で、注目され、存在価値を認められることでしょう。単なる見世物的な物でなく、常に利用され、信頼され、重宝される存在となることでしょう。

にしざわ貯金箱かん の今後の方向性

 今後の方向性は、箇条書きにすれば、以下の通りでしょう。

  1. 貯金箱の収蔵数を増やします。

・日本の貯金箱を主体とします。

・キャラクターなど生活に密着している物を重点とします。

  1. 存在意義を高める努力をします。

・貯金箱の研究・体系化

・貯金箱の活用・推進

  1. 興味の出る展示の工夫

・時代と共に、変化している貯金箱の様子(年代順に現れた貯金箱を展示、その年代の出   来事を掲示、来館者に自分の過去を振り返って頂く)

・今様の貯金箱の企画展示

 いずれにしても、後世に残る貯金箱の博物館たるには、貯金箱が、文化遺産として、認知されなければなりません。その為の、努力が、にしざわ貯金箱かんの、今後の方向性です。

 

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